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神奈川県法律家4団体の「公民教科書に関する意見書」

6月1日、神奈川県内の法律家4団体が共同で作成した「育鵬社・自由社の公
民教科書に関する意見書」の報道発表が行われ、記事が掲載されています。
この「意見書」は、育鵬社・自由社と他の教科書を、法律家の目で調査したもの
です。「こんな教科書は困る。心配している」と言うときに役立つと思われます。
神奈川県内だけでなく全国で活用できる内容です。ご活用ください。

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育鵬杜・自由社の公民教科書に関する意見書

2011年(平成23年)6月1日
      神 奈 川 労 働 弁 護 団
                    社会文化法律セ ン タ ー 神奈川支部
                    自  由  法  曹  団 神奈川支部
                青年法律家協会 弁護士学者合同部会 神奈川支部

1 はじめに
 現在、2012年度(平成24年度)から4年間にわたって使用されることとなる中学校教科書の採択が、各地の教育委員会等において行われている。
 その対象となる教科書のうち、育膀社及び自由社の公民教科書(以下、あわせて「つる会」系教科書」という。また、「つくる会」系教科書以外の教科書を総称して「他社の教科書」という場合がある。)は、憲法及びそれを巡る諸状況に関する記述において、法律家として到底看過することのできない多くの重大な誤りを含んでおり、また、一般的に受け入れられていない特異な見解を打ち出している。このような教科書が採択され、中学校の授業で使用された場合、子どもの学習権保障の見地から極めて深刻な問題が生じると言わざるを得ない。
 われわれ神奈川県内に法律事務所を置く弁護士によって構成する法律家4団体は、その連名により、「つくる会」系教科書の問題点を明らかにし、各地の教育委員会等がこのような問題のある教科書を採択することのないよう強く求め、ここに意見を表明する。

2 国民主権に関する理解の誤り
 日本国憲法は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3つを基本原理とする。このうち、国民主権とは、国の政治のあり方を最終的に決める力が国民にあるという意味であり、君主主権と対抗関係にある概念である。大日本帝国憲法は、天皇を統治権の総覧者であって、国家のすべての作用を統括する権限を有するものとしていた(天皇主権)。これに対し、日本国憲法は、かかる君主主権(天皇主権)を否定し、主権が国民に存するものとした(国民主権)。これに伴い、天皇は国政に関する権能を有しないものとされ(憲法4条)、憲法上、天皇の地位は大きく変わることとなった。
 これが国民主権に関する憲法学の標準的な理解である。他社の教科書も、国民主権について、これと同様に説明している。
 ところが、「つくる会」系教科書は、このような一般的な理解とは異なる独自の視点から、あたかも大日本帝国憲法と日本国憲法との間で天皇の地位が変わることなく存続しているかのように説明している。
 すなわち、育鵬社は、大日本帝国憲法下において、天皇が直接政治を行ったわけではないとしたうえで、「日本国憲法は天皇の位置づけを、大日本帝国憲法での統治権の総覧者から、日本国および日本国民統合の象徴へと、とらえ直しました」と記述している。これは、天皇主権と国民主権とは、とらえ方の違いに過ぎないとの誤解を生じさせる記述である。また、育鵬社は、「天皇を精神的な中心として国民が一致団結して、国家的な危機を乗り越えた時期」の「代表例」として、「明治維新」と「第二次世界大戦で焦土と化した状態からの復興」を挙げている。これも天皇の地位が大日本帝国憲法と日本国憲法とで変わることなく存続しているとの理解を前提にした記述と解される。
 自由社は、「天皇の役割と国民主権」というタイトルで国民主権にふれているところ、その書き出しにおいて、「歴史を通じて維持されてきた天皇の地位と役割は、日本国憲法ではどのように規定されているだろうか」と問題提起をしている。ここでも、育鵬社と同様、「天皇の地位と役割」が歴史を通じて一貫している。ことが所与の前提とされ、憲法上の天皇の地位は規定の仕方の違いに過ぎないとされている。このように「天皇の地位と役割」が歴史を通じて変わらないという視点は、「日本国憲法のもとでの天皇も、日本の政治的伝統にならった役割を果たしています」との記述にも表れている。
 これに対し、他社の教科書は、「国民主権が日本国憲法で定められたことにより、大日本帝国憲法において主権者であった天皇の地位は大きく変わりました」と記述するなど、憲法学における通常の理解に即して、天皇の地位が大きく変わったことを説明している。これは、国民主権を理解するに際して欠かすことのできない前提事項である。これと比べても、「つくる会」系教科書の記述は、その異質さが際立っている。国民主権と天皇の地位に関する「つくる会」系教科書の記述は、憲法学の標準的な理解から逸脱しており、中学校教科書として不適切と言わざるを得ない。

3 基本的人権に関する理解の誤り
(1)基本的人権とは、人間の固有の尊厳に由来する普遍的な権利であり、公権力に対するものとして理解されてきた。このような憲法学における通常の理解に即して、他社の教科書は、基本的人権の侵害となる例として、政府による言論弾圧、検閲、盗聴などを挙げている。
 これに対し、「つくる会」系教科書は、国家権力による人権侵害からの保障という本来の視点を明示せず、国家権力よる人権侵害と、私人間の権利の衝突とを、混同して説明している。その典型は、自由社が、人権侵害の例として親権の制限を挙げている点である。一般に、親権の現代的意義は子どもの最善の利益のため、その成長・発達を支えるという義務的側面に認められるから、親権を基本的人権と捉えるのは適切でない。分量の限られた教科書で人権侵害について教えるのであれば、他社が取り上げている言論弾圧等、より相応しい人権侵害事例の紹介が可能であり、かつ必要であるというべきである。
 また、「つくる会」系教科書の特徴として、人権制限や義務の過度の強調が挙げられる。自由社・育鵬社のいずれも、基本的人権に関する見開き2項の説明の中で、人権については条文の列挙に留めて具体的実例を明示しない一方、その紙幅の半分以上を公共の福祉による人権制限と国民の義務の説明に充てている。他社の教科書がデモ行進や子どもの権利など、基本的人権の具体的実例を挙げ、イラストや写真入りで紙幅を費やして説明しているのとは対照的である。

(2)さらに、各社の教科書において、「効率と公正」を原理とする利害調整が説明されているが、ここでも「つくる会」系教科書は、他社の教科書と異なる独自の見解を持ち込んでいる。
 すなわち、育鵬社は、原子力発電所の誘致を例に挙げ、市民が「効率と公正」の見地から討論を行い、その結果として誘致することが決まる場合の結論のみを提示する。しかし、原子力発電は、ひとたび事故が発生すれば、生命、身体および健康という最も基本的な人権に対する広範かつ深刻な侵害を生じ得る。そして、これらの基本的人権は、権利の性質上、「効率と公正」による利害調整には馴染みづらい。すなわち、「効率と公正」のためならば他人の生命、身体および健康を損なっても良い、ということにはならないのである。したがって、原子力発電所の誘致という事例は、「効率と公正」による利害調整について学習する素材としては不適切であると言わざるを得ない。
 他社の教科書では、学校の1つしかないグラウンドの使用を複数の部活動の間でどのように配分するかなど、読み手である中学生にとって身近で、かつ、権利の性質上「効率と公正」による利害調整に馴染みやすい素材が採り上げられている。
 育鵬社の原発誘致事例は、素材として不適切であるばかりか、権利の性質に対する考慮を欠く点において、基本的人権に対する無理解を端的に示すものというほかない。
 なお、今次採択される教科書は、2012年度(平成24年度)から4年間にわたって使用されることとなる。東京電力福島第一原子力発電所における深刻な事故が今後4年間にいかなる進展を見るのか、また、それを巡り社会状況がどのように変化するのか、現時点において的確に見通すことはできない。その意味においても、上記のように原発誘敦を採り上げる育鵬社の教科書は、公民科の教育指導の基本となる「主たる教材」(教科書の発行に関する臨時措置法2条1項)として不適切である。

(3)他の諸権利についても、「つくる会」系教科書では、特異な見解の強調が散見され、教科書とし七の適格性に欠けるものと指摘せざるを得ない。
 たとえば、男女平等について、他社の教科書は、就職差別や貸金差別といった職場における具体的差別の存在を指摘して、その是正の意義を説明している。これに対し、「つくる会」系教科書は、こういった社会生活上の具体的な男女差別について十分に触れていない。「男女平等」、「男女共同参画社会」という言葉こそ採り上げているものの、その内容は抽象的な理念の説明に留まる。
 そればかりか、育鵬社・自由社は揃って、男女の表示を同色にしたトイレを写真又はイラスト入りで紹介し、「はきちがえられた男女共同参画」(育鵬社)、「トラブル続出のトイレ」(自由社)などと、差別是正の試みの行き過ぎを揶揄することに相当の分量を割いている。他社の教科書が、差別の是正・解消に取り組んできた歴史と現状の説明に分量を割い七いるのと比べたとき、その異質さは一目瞭然である。
 育鵬社については、ウインクをしている女性のイラストが多用されている点も特筆される。いわゆる「女性らしさ」を強調するこのようなイラストは、他社の教科書では全く見られないものであり、教科書としての適格性に疑問がある。
 労働者の権利についても、「つくる会」系教科書には特異な見解が散見される。
 たとえば、他社の教科書は、労働者が使用者に比べ弱い立場にあるという前提を明示したうえで、労働者の権利を保護する法制度(いわゆる労働三法など)を説明している。ところが、自由社は、かかる法制度を説明する文章の中で「労働者は、ほかに働く場がないとき、低い貸金や悪い条件で働かされるということが起こり得ます」と言及するに留まる。これは、労使関係の非対等性が需給バランスの崩れたときに限って出現する例外的事象にすぎないかのような前提に立つものであり、一般的な理解とは相当に異なる。
 また、労働時間が長く「過労死」が社会問題となっていることは、日本の労働環境の特徴である。他社の教科書は、日本の長時間労働が他の先進工業国に比べて高い水準にあることを説明し、労働時間の短縮を重要な課題として採り上げている。ところが、「つくる会」系教科書はこの点に言及せず、他社の教科書がおしなべて採り上げる「ワーク・ライフ・バランス」についても触れていない。
 さらに、育鵬杜は、男女雇用機会均等法、男女共同参画社会基本法、育児・介護休業法について、「社会に出て働くことを望む女性の負担を緩和する制度」と説明している。その文意からは、女性が育児・介護等の家族的責任を負担すべきセあるとのジェンダー・バイアスを前提にしていると解さざるを得ない。しかし、これらの法制度は、男女平等の理念に基づくものであり、たとえば家族的責任の中心である育児・介護について、原則的に男女がともに負担すべきであるという考え方に立脚したものである。育鵬社は、かかる法の趣旨を見誤っており、適切でない。

4 平和主義に関する特異な見解の強調
(1)平和主義ににいて、憲法学の標準的な教科書は、「日本国憲法は、第二次世界大戦の悲惨な体験を踏まえ、戦争についての深い反省に基づいて、平和主義を採用し、戦争と戦力の放棄を宣言した」と説明する。他社の教科書においても、これと同様、「第二次世界大戦の反省にたって平和主義を選択し、戦争を放棄し、戦力をもたないことを宣言しています。」、「多くの犠牲を出した戦争と戦前の軍国主義の反省にもとづいて、戦争を放棄(憲法第9条)して平和を強く希求しています。」などと説明されている。
 ところが、「つくる会」系教科書は、平和主義についで、連合国軍によって押し付けられたものであるとしか説明しない。
 すなわち、育鵬社は、「連合国軍は日本に非武装化を強く求め、その趣旨を日本国憲法にも反映させることを要求しました。このため、国家として国際紛争を解決する手段としての戦争(侵略戦争)を放棄し、戦力を保持しないこと、国の交戦権を認めいことなどを憲法に定め、徹底した平和主義を基本原理とすることにしました。」と説明する。自由社も、「占領下につくられた日本国憲法は‥・平和主義の理想を打ち出しています」と説明し、当該箇所において戦争への反省には一切言及しないのである。いずれも、憲法学の通常の理解とは異なる特異な見解であると言わざるを得ない。

(2)戦後の日本の平和の歩みについても、「つくる会」系教科書は、平和主義を全く評価しない。自由社は、「わが国の平和と安全の基本は、日米安全保障条約によっている」とし、育鵬社は「戦後の日本の平和は、自衛隊の存在とともにアメリカ軍の抑止力に負うところも大きいといえます。」としている。日米同盟が日本の平和をつくったという視点が押し出れているが、これは、他者の教科書において「日本は平和主義のもと、第二次世界大戦後60年以上、一度も戦争にまきこまれることなく平和を守ってきました。」などと記述されているのとは対照的である。
 日米同盟を高く評価する一方で、「つくる会」系教科書は、日米同盟が生み出す国際摩擦には全く目を向けない。育鵬社は「日本周辺でも、中国の核ミサイル配備や北朝鮮の核兵器開発などが軍事的緊張を高めています」とし、自由社も「北朝鮮による拉致事件や核ミサイル開発、中国の軍備増強」を例に挙げて「わが国周辺には軍事大国が存在し、潜在的な脅威とならています。」とする。いずれの記述も、中学生である読み手(子どもたち)の危機感を煽るものである。しかし、中国や北朝鮮の行動の背景に、日米同盟と在日米軍の脅威に対する諸外国の危機感があるとの見解には一言もふれていない。
 育鵬社は、「戦後の日本の平和は、自衛隊の存在とともにアメリカ軍の抑止力に負うところも大きいといえます。」との記述に続けて、「また、この条約ほ、日本だけでなく東アジア地域の平和と安全の椎持にも、大きな役割を果たしています」と説明している。しかし、はたして東アジアの平和に日米安保条約が貢献しているとの理解が、当事者である東アジア諸国からの支持を得られる見解であるのか、疑問が残る。少なくとも、中学校教科書における記述としては、一面的に過ぎるとの指摘を免れない。

5 憲法改正に関する一面的な見解の強調
(1)日本国憲法の制定過程に関しては、学際的に広範な議論が続けられてきている。これについて、「つくる会」系教科書は、いわゆる「押しつけ」憲法論を全面に押し出して強調する。
 すなわち、育鵬社は、「政府は大日本帝国憲法をもとに改正案を作成しました。しかし、GHQはこれを拒否し、自ら1週間で憲法草案を作成したのち、日本政府に受け入れるようきびしく迫りました。」と記述し、自由社は、「日本政府ま大日本帝国憲法の改正案を作成しましたが、マッカーサーは、この改正案は天皇の統治権総覧を規定していることなどで、改正は不十分であるとして拒否しました。GHQの民政局で新憲法案がひそかに英文で作成され、1946年2月13日、日本政府に提示されました。日本政府としては受諾する以外に選択の余地のないものでした。」と記述している。
 また、日本国憲法が国民にどのように受け入れられたのかについて、育鵬社は、「日本国憲法は戦後の政治原理として国内はもちろん、国外にも広く受け入れられました。」、「戦後日本が第二次世界大戦によるはかりしれない被害から出発したこともあり、この平和主義は国民にむかえ入れられました。」と述べるに留まり、自由社にいたっては、「日本国憲法の公布を祝う人々」のタイトルで写真を掲出するが、その説明として「人々は、新憲法の原案がGHQから出ていることを知らなかった。」と書き添えており、あたかも当時、国民が日本国憲法の公布を祝ったのは全国民的な誤解であったかのような印象を与えている。
 しかし、日本国憲牡は、必ずしもGHQに押しつけられて拙速に制定されたものではなく、日本国民とその代表である議会の討論を経た結果、制定されたものである。また、公布当時、国民の多くがこれを歓迎して受け入れたことは、当時の写真や報道等を通じて広く知られた事実である。
 他社の教科書においても、「ポツダム宣言にもとづいて、憲法の改正を求められた日本政府は、連合国軍総司令部から民主主義を基本とする憲法案を示された。これをもとにつくられた改正案が、新たに20歳以上の男女による普通選挙で選ばれた国会で審議・議決されて、日本国憲法が誕生した。新しい憲法は1946年に公布され、翌年5月3日から施行された。長く苦しい戦争体験をへて、専制的な政治がいかに危険かを学んだ国民は、日本が自由と民主主義と平和の方向に新しく生まれ変わることに大きな期待を寄せた。」などと記述されている。
 これと比べたとき、「つくる会」系教科書が、日本国憲法の制定について、「押しつけ」の側面だけを強調し、当時の国民から広く支持されて受け入れられたことについてあえて言及しないのは、それこそ一方的な見解の「押しつけ」であり、中学校教科書としては、極めて不適切であると言わざるを得ない。

(2)「つくる会」系教科書は、このような「押しつけ」憲法論を鮮明に打ち出したう えで、憲法改正の必要性に言及する。そのため、読み手(子どもたち)は憲法改正の必要性を肯定する方向へと誘導されていくことになる。
 また、育鵬社は、諸外国の憲法改正回数の一覧表を掲載し、「各国では必要に応じて比較的ひんぱんに憲法の改正を行っています。」と説明している。しかし、各国の憲法の改正頻度は、その意浜の硬性の度合い(通常の立法に比べてどの程度特別の手続が必要とされているか)や、憲法典がどの程度まで細かい規定を置いているか等によって大きく影響を受けるものであり、単純に改正回数だけを比較することには意味がない。その一覧表で改正頻度が第1位となっているドイツは、憲法改正が議会のみの特別多数で憲法を改正できる、比較的硬性の度合いが弱い憲法であるが、そのような背景には全くふれられていない。
 こうして「つくる会」系教科書は、押しつけられた憲法を改正しない日本は、世界的に見てもおかしいのだという印象づけを行うことにより、露骨に、読み手(子どもたち)を憲法改正べ誘導しようとする。このような丁面的な見解の押しつけは、中学校教科書として到底許容されるべきでない。

6 結論
 教育は、子どもたち一人ひとりの人格の完成を目指して行われる営みである。その教育が、秩序の形成、維持、強化や、憲法改正といった時の政治権力の思惑に絡めて行われるとすれば、それが深刻な人権侵害をもたらすことになることを、われわれは歴史から学んでいる。
 「つくる会」系教科書は、これまで述べてきたとおり、わが国の根本法である日本国憲法の3大原理について誤った説明をし、また、読み手(子どもたち)に対して一面的に過ぎる特異な見解のみを強調している箇所が散見される。また、憲法改正について、読み手(子どもたち)を一定の方向へ導こうとする意図が露骨である。
 かかる教科書を用いた教科指導を受けることにより、子どもたちが、一般的な理解からかけ離れた見解にしか触れられずに育ちゆくとすれば、それは子どもの学習権の侵害にほかならない。また、それは民主主義の否定でもある。
 これまで述べてきた憲法の理解についての「つくる会」系教科書の誤り等は、公民教科書のみならず、育鵬社・自由社双方の歴史蓼科書における憲法の記述についても同様に当てはまる。したがって、「つくる会」系の歴史教科書もまた、子どもの学習権保障の見地から不適切な教科書であると言わざるを得ない。
 われわれは、法律家として、このような事態を見過ごすわけにはいかない。ここに、各地の教育委員会等がこのような問題のある厳科書を採択することのないよう強く求めて、われわれの意見を表明するものである。

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